寺宝について
悠久の時を超えて、
残されてきた寺宝
上寺山餘慶寺には、1270年余りの歴史の中、多くの寺宝が残されており、
文化財の宝庫として国や県、市から指定されているものがある
国指定の重要文化財
- 本堂(観音堂)
- 木造薬師如来坐像
- 木造聖観世音菩薩立像
本堂は、1570(永禄13)年に赤枝弥三衛門光国が一族を結集して寄進し、建立したもの。室町時代の特色をよくあらわした入母屋造り・本瓦葺きの木造建築物である。
木造薬師如来坐像は、平安時代の像。坐像で像高182cmの大作で、頭体の主要部を一材から彫出する一木造である。全体に太造りで、頭部が大きく、額が狭く、衣の彫刻などに平安初期の作風がうかがわれるが、制作は10世紀前半頃と推定されている。中国地方を代表する傑作として全国から多くの拝観者が訪れる。
聖観音菩薩立像は筒型の宝冠をかぶり、右手をまっすぐ下げて掌を前に開き、左手は曲げて持物を握る相を示した一木造の立像。肉身部は黒漆地の金箔押し仕上げ、衣部はもと彩色仕上げであったと見られている。作風に薬師如来坐像と共通の特徴が見られ、制作もほぼ同時期の平安時代前期と考えられている。
岡山県指定の重要文化財
- 三重塔
- 梵鐘
- 木造十一面観世音菩薩立像
三重塔は源平の争乱で焼失したと伝えられるが、江戸末期になって再興の気運が高まり、西幸西の草井幸衛門が6年がかりで寄進を募り、1815(文化12)年に完成させたもの。2002(平成14)年に岡山県指定重要文化財になっている。
梵鐘は刻まれた銘文によると1571(元亀2)年に明国(現在の中国)の2人が願主として大分で鋳造されたもので、豊臣秀吉の九州征伐に参加した宇喜多秀家が1587(天正15)年に寄進したと伝えられる。
十一面観音立像はケヤキの一木造り、可憐な顔は温和で平安時代後期の様式を示している。ヒノキ材が多いこの時期にケヤキを使っているのは神木として意図的に使ったものと伝えられている。
瀬戸内市指定の重要文化財
- 鐘楼
- 薬師堂
鐘楼の建築様式は桃山末期から江戸初期の作風といわれ、屋根の東西に軒唐破風をつけたり、鬼瓦の上に鯱を飾ったりと小さな屋根の上にいろいろと意匠を凝らした豪華な作りになっている。
棟札によると1850(嘉永3)年の再建とあるが、桃山末期の建物を江戸末期に同じ姿で建て直した物と考えられる。
境内の一番奥にある薬師堂は、本堂と同じ大きさの五間堂で、1734(享保19)年の再建棟札が現存するが、建築様式から中世の仏堂の形式を残しており、古い薬師堂の形式を継承した可能性が高い。
寺宝展について
毎年10月に開催される
「寺宝展」
毎年10月、紅葉のシーズンに寺宝展が開かれ、多くの方々が拝観に訪れています。
その際に、数多くの文化財、寺宝を説明とともに見ることができます。
また、寺宝展に合わせてもみじカフェを開き、紅葉を楽しみながらお茶をいただけます。
TEL:086-942-0186